気がつくのが遅れてしまったが、というか@sancya_ai氏がtweetするまでまったく盲点になっていたのだが、中央公論社が公式ブログで標記の対談を13日付けで公開していた。下のリンク先のブログのほうで4ページにわたる長さの対談だが、その核心部分のところを引用する。
梅田 すると、会長の強さが今、全プロ棋士のランキングでどのくらいのところに位置するかはわかりませんが、少なくと もトッププロよりは弱いと。その米長邦雄を倒せないようでは、まだまだトッププロに挑戦する資格はない。これは「とにかく早く羽生とコンピュータを戦わせ ろ」と主張する人を黙らせるだけの説得力があるのではないでしょうか。
行きがかり上、対局料は中央公論が出す。その流れで、竜王戦のスポンサーである読売新聞も巻き込んでしまえばいいですね。
米長 よしわかった! 次は私がやりましょう。名誉八段の渡邉恒雄様にもぜひよろしくお伝えください。(笑)
忙しい人は上記だけ読めばいいし、余裕があればリンク先の全文をぜひ。以下は筆者による蛇足なので本当に暇な人以外はお勧めしない。
この対談を筆者が読んだときに感じたのは、「興行」という言葉が何度も使われていたこと。ちょっと順番に抜き出してみよう。(出てきた「興行」を太字にしたのは筆者によるもの)
一六一人のプロ棋士の大半は、熾烈なサバイバル競争をしています。先ほども話に出ましたが、それこそコンピュータのように感じさせるほど、人間離れした研 究を日々している。そしてそうした人間と人間のすべてを懸けたぶつかり合いに興行としての価値が認められていて、プロ棋士という職業が成り立っているわけ ですね。(梅田氏)
「走る」ということだけで考えれば、人間は車に勝てません。でもマラソンランナーが、懸命に練習をして、本番ではプレッシャーをはねのけて孤独な戦いをす る。その姿は、見ている人の感動を呼び、興行として成り立つわけです。同じように、「考える」ということについて、人間がコンピュータに勝てないというと きが万が一来たとしても、お互いがお互いにとってマイナスにならないような関係でありたいと思うんです。そういう関係を作り上げるのが会長の仕事だと考え ているんです。(米長会長)
確かにそのルールならコンピュータに負けても納得すると思います。朝十時から、夕方の五時まで対局。まあ夕飯のときには一杯やってね(笑)。それでまた次 の日の朝、将棋盤の前に座るわけです。興行の観点からすると成り立たないでしょうけれど、一つのアイデアではありますね。(米長会長)
確かに人間同士の合議制は、将棋の質の向上にはつながらないかもしれません。でも、興行としてありうると思うんです。コンピュータの読み筋が公開されたよ うに、人間もどうやって四人が次の指し手を決めるのか、すべての読み筋を公開しながら丸一日かけて対局するイベントなんて面白いじゃないですか。
そういう興行のヒントも対コンピュータ戦には隠されているように思うんです。
梅田氏のMy Life Between Silicon Valley and Japanには「興行」という言葉が使われているエントリーは2つある。梅田望夫のModernShogiダイアリーにはそれが使われているエントリーは無い。
ワールドシリーズはいつも10月下旬に行われる。野球にいい季節はもう終っていることが多い。西海岸やドーム球場やデイゲームならまだいいが、東で行われるナイターはとにかく冷え込む。しかも、全米でなるべくいい時間にテレビ観戦できるよう、試合は東海岸時間の午後8時過ぎに始まることが決まっている。だから試合が盛り上がれば、容易に午前零時をまわる。雨で中止・順延は全体日程に大きく影響を及ぼし、興行的にマイナスだから、少々の悪天候ならば試合は中止せずに決行される。そんな試合は見ているだけで寒くて凍える。
じつは、僕の親友でさまざまな芸能の興行に携わっているプロ中のプロがいるのだが、彼は将棋タイトル戦のDVDが存在しないことに、大きな機会損失ではないかと驚いていた。僕も考えたことがなかったが、たしかに羽生VS佐藤のタイトル戦のDVDがあれば必ず買い揃えるだろう。DVDという素材の中に、その将棋の魅力をふんだんに盛り込む工夫は絶対にできるはずであり、それが「将棋鑑賞」というジャンルを耕すことになるだろうと思う。
最初のが2005年10月24日のもので、2番目のが2006年11月23日のもの。つまり、梅田氏のブログ上では、「興行」という言葉は4年間出てきてない言葉であり、また、使われた上記の2つにしても自分が将棋興行の当事者という強い意識もって書かれたものではない。それなのに、この突然の「将棋興行師宣言」とでもいうべき中央公論の対談である。驚いたのは筆者ばかりではないと思う。
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