24日の読売新聞の「編集手帳」で、縁台将棋の風景がなくなったことが取り上げられている。
今の時代に縁台将棋が見られなくなったのをいっても、そもそも縁側のあるような家が増えているのかどうかが疑問では、などと筆者は思ってしまう。ただ、
将棋道場も碁会所もビルの一室などに入ってしまって、子供の目に触れる機会が少ない。
というのはその通りなんだと思う。
ただ、現代でも希望はある。常に将棋の盤駒を持ち歩いているミュージシャンの本日のブログに面白いエントリーがある。
路傍之金塊(侍ブログ)
ストリートでの演奏をお役人に止められたので、急遽、路上での将棋会に切り替え、黒人の方とやりとりをした顛末などが綴られている。このような出来事は、「縁台将棋の一こま」とは決して呼ないだろう。だが、「ビルの一室などに入ってしまって」いないことで、将棋を通じて見知らぬもの通しの面白いやりとりが生まれたという意味では、縁台将棋と同じような効果を持つのではないだろうか。
そういえば先日の LPSA の初回イベントも路上だった。これからは、縁側、よりも、路上がキーワードなのかもしれないな、などと考えた。
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