最近のトラックバック

Powered by Typepad

Blog Tracker Code(J)

  • Blog Tracker Code

Google Analytics

« 都詰めを導いた塚田九段のサービス精神に拍手 | メイン | シカマルとアスマのコスプレで将棋を指す海外のひとたち »

2006年5 月23日 (火)

コメント

一愛好者

チェス、将棋、囲碁など、色々なゲーム愛好者の意見をブログで拝見していると、大多数は全く噛み合わない議論ばかりです。野球とサッカーを同じ土俵で議論する事自体、所詮無理があり、各ゲーム、スポーツには、それぞれのルールがあるのですから、ルールを認めた上で楽しめば良いと思います。
私はチェス、将棋、囲碁全て楽しみますが、どれが優れている等という議論は無意味だと思います。しかし、チェス、将棋は起源が同じであっても、全く別世界だと感じております。取った駒を使えるという点で、日本の将棋はチェスより遥かに複雑なゲーム展開が可能であり、チェスより優れているという主張は充分に共感出来ます。

根本的問題はルールの相異にあるのではなく、運営面の問題だと思います。チェスも将棋もゲームの面白さは認めた上で、チェス界の運営面に対する不満を2点だけ述べます。

1.チェスでは、「対局者が自分で記録を取らなければならない」という、実に馬鹿げた規則があります。
初めてチェスに興味を持った時、あまりにも滑稽な風景に笑い出してしまいました。
いちいち盤面から目をそらすのは、集中力の過大な損失です。持時間が逼迫してくれば、自分で記録する余裕なんか無くなります。それでなくとも、記録内容は指し手のみで、考慮時間は記録されませんから(記録出来る筈もありませんが)、記録の意味は半減してしまいます。同じ指し手の連続でも、考慮時間があってこそ、記録の意味があります。将棋、囲碁などのように、記録係が指し手、考慮時間を記録するのは、当然の事です。費用面から、全ての対局に立会人、記録係を設けるのが困難というのは理由になりません。大多数のスポーツでも、選手はプレイに専念して、審判、スコアラー等が別にいるのは、当然の事です。

2.もう一つ。これもチェス界の馬鹿げた不正まがいの習慣ですが、対局者が複数名のチームを作って、タイトル戦進行中に色々と作戦を合議する事が、チェス界では認められています。インターネットの普及した現在、完全に一対一の個人戦を監視する事は困難かも知れませんが、フェアプレイの精神に反します。

これらの点を色々と考えてみたのですが、どんなスポーツでも最上位の管理組織に問題があるのは共通しています。御承知の通り、チェス界を牛耳っているのは、旧ソ連以来の硬直した官僚組織であるFIDEです。国家の面子をかけて世界選手権に圧力をかけてくるのですから、カスパロフもコルチノイもゲーム戦略以外の面に多大な労力を強いられた事でしょう。
ですが、最近話題になったハンドボールでも、まさに国家間の政治的な争いが繰り広げられています。ゲームの基本的ルールとは全く関係無い世界の争いで、ゲームそのものが台無しになってしまうのは、スポーツ共通の問題かも知れませんね。

takodori

> 一愛好者さん

 コメントありがとうございます。利用可能になる技術の進歩で採譜方法が変わることもあるかなと思っています。フィッシャー式の持ち時間など、対局時計の進歩無しには普及はしなかったと思います。

 スポーツに限らず、最上位の管理組織は、どんな分野のものであれ問題があるように思います。特にコミュニケーションの分野で技術革新が急速に進んでいる昨今それは顕著になっている気がします。

keres65

はじめまして。
こちらの記事に偶然立ち寄りましたが、一愛好者さんのコメントにちょっと反論?いたします。

1.「対局者が自分で記録を取らなければならない」と言う実に馬鹿げた規則・・・

 チェスで記録を取るのは公式戦において、レイティング1000の初心者からレイティング2800近い世界チャンピオンまで同じだという事をご存知でしょうか。
 一方、将棋においては第三者が記録を取るのはプロ及びアマチュア棋戦の上位対局だけではないでしょうか。たとえば県レベルで新聞社主催の将棋大会があったとして、記録係が記録をつけるのはせいぜい準決勝あたりからぐらいではないのでしょうか。
 チェスで棋譜を自分で記録するのは、チェスのルールですし、慣習でもあります。コメントの初めの方で、「ルールを認めた上で楽しめばよい」だとおっしゃりながら、「じつに馬鹿げた規則」と言うのは矛盾していると思いますが。
 なお、確かに少人数のチェス大会では記録係をつけることは可能ですが、数百人が参加するオープン大会では記録係をつけることは不可能です。もちろん将棋でも同じだと思いますが。
 時間切迫で記録が不完全になるということは確かにそのとおりで、ほとんどの大会では持ち時間が5分を切ったら、棋譜を採らなくてもよいという規則が有ります。さらに最近では、センサーボードと言って駒の動きを自動的にコンピュータに記録するチェスセットがある大会があります。ただし、マスターレベルの限られた大会のみになります。

2.チェス界の馬鹿げた不正まがいの習慣・・・

この表現は誤解を招きますので補足します。
もちろんゲーム進行中に助言を与えることはチェスでも禁止されています。チェスでも将棋と同じように、一日で終了しない時には翌日に指し次ぐ制度が以前はありました。このとき、プレイヤーが休息を取っているときに局面の検討をして教えるしごとをするセコンドが許されていました。セコンドの仕事には、一対一のマッチや総当たり戦のような大会のときに、対戦者の好みやゲームを分析し、対策を練ることも入っています。セコンドは個人であったり複数あるいは団体並みであったりもしました。
 なぜこれらのことが許されたのかと言えば、それは「他者の助言を禁止する」という規則を作ったとしても守られないだろうと言うことです。チェスの世界はまさに国際的でチェスプレイヤーも数多く、又いろいろな考えを持った多国籍多民族の世界です。その中で、「他者の助言禁止」は実現不可能なものだったのだと思います。
 逆にプロの将棋界は人数も少なく全て?日本人で、誰かが誰かに協力すればすぐわかってしまう世界でしょうから「他者の助言禁止」は成立出来たのではないでしょうか。

 セコンドに関して、現在でも対戦相手の研究などに雇うプレイヤーもありますが、当然費用が掛かりますから、高額の賞金が出るマッチや大会等に参加するときに限られると思われます。また、セコンドを雇う危険もあります。なぜなら、大体は自分と同等程度の技量(全ての面でなくても例えば序盤に長けているとか)のプレイヤーを雇うわけですが、いずれ他の大会で自分と対戦する敵になる可能性があるわけです。そうなるとセコンドになっていた時に話し合ったり考えたことを知っている強敵になってしまうのです。

 最後にFIDEですが、硬直した官僚組織という風には思えませんが。ただし、その時々のFIDE会長の意向が反映されてきています。カルポフ対コルチノイ戦では確かにソ連を出たコルチノイに対しては不利に影響しましたが、カルポフ対カスパロフ戦ではどちらもソ連人で(中央対地方ではありましたが)、FIDE会長はフィリピン人でした。

 ところでチェスの世界から見ると将棋のアマチュア界は全然統一が取れていないように見えますがどうなんでしょう。
 ちなみに私は子供時代将棋が大好きで、「大人になってもきっと将棋が大好きなんだろうな~」って思っていたことがありました。

keres65

 補足:私の投稿中、
「2.チェス界の馬鹿げた不正まがいの習慣」以下、4行目の
⇒「プレイヤーが休息を取っているとき」は、次のように訂正します。
⇒「一日目のゲームを終わり、プレイヤーが休息を取っているとき、または就寝中に」

 現在のチェスでは、二日にまたがるゲームは存在しません。理由は、一日制のスピード化によって、より国際公式戦(アマプロ関係無し)を普及させるためが第一でしょうが、チェスコンピュータソフトの進歩による「助言」を排除する目的もあるかもしれません。

 なおチェスの世界は、アマ初級者からプロのグランドマスターまで連続した世界を形作っています。例えば、プロはプロ用の持ち時間、アマはアマ用の持ち時間と言う考え方はありません。マスターのみを招待した大会は別として、多くのオープン大会は文字通りアマ・プロ混在、マスター・市民プレイヤー混在で、同一持ち持間&同条件で戦います。
 

一愛好者

迷いに迷いましたが、KERES65さんに一回だけ再反論させて頂きます。

ゲーム、スポーツの基本的規則とは全く別の「運営方法」を定めるのは、最上位の管理組織であり、これらの組織に問題があるのは、どこでも共通しているのではないかと考えております。棋士の意向を無視するような形で、スポンサーをどの新聞社にするかで、もめにもめた日本将棋連盟の醜態もありますし、野球に全く関心の無いオーナー達に支配された日本プロ野球界も、大きな問題を抱えています。FIDEも例外ではないでしょう。
FIDEが定めたという点では、採譜方法は「規則」かも知れませんが、駒の動かし方などの「普遍的な大原則」と異なり、採譜などは「運営方法」の問題だと申し上げているのです。

カスパロフの著書「決定力を鍛える」の374ページに記載されていますが、ゲームに没頭するあまり採譜を忘れて、審判から注意されたというエピソードが紹介されています。彼のような頂点を極めた人物の失敗を知って、我が意を得たりと感じました。ゴルフ、ボーリング等ならば、自分で記録する事に何の負担もありませんが、制限された持時間で盤面を凝視し続けるボードゲームの場合、採譜という行為は選手の責任範囲外だと思います。

確かに全てのゲームに記録係、審判を設ける事は困難ですが、少なくともトップ選手数名のみで行われる大会などでは、選手の負担を除去すべきだと思います。自動記録される器具の事は存じませんでしたが、自分で記録する事を負担に感じる人が無ければ、そんな器具は開発されないでしょう。また、着手だけでなく、考慮時間の記録も極めて重要だと、重ねて申し上げておきます。

カスパロフはコルチノイのように亡命した訳ではありませんが、1984年からリターンマッチのように4年連続で世界選手権が実施されたのは、何としてもカルポフを頂点に復帰させたいというソ連の意向が露骨だったからでしょう。こんな状態が続いた為に、多くの選手に門戸が閉ざされたと、クラムニクも批判しているではありませんか。
特に残念なのは、世界選手権が訳の分からぬトーナメント方式になり、技量的にも疑問符の付く選手ーが、偶然、優勝してしまう不合理が発生している事です。典型的なスポーツ官僚である独裁者サマランチの提案らしく、FIDEだけの責任ではないのでしょうが、いくらプロ、アマを問わず門戸を開放すべきとは言っても、これでは権威が無くなってしまいます。
一度段位を取れば一生安泰という将棋、囲碁と異なり、現時点での技量を相対的に測る尺度として、チェスにはレイティングという秀逸な制度があるのですから、少なくともトップレベルの大会は、トップ選手のみに参加限定された総当たり方式を中心にすべきと思います。また、技量が拮抗すれば大部分が引分けになるというチェスの宿命を考慮して、試合数は十分に多くすべきでしょう。

セコンドの件ですが、誰も守らないから認めるというのでは無法状態になってしまいます。インターネットの普及した環境で、完全な個人戦を実現する事は、確かに困難です。しかし、極端な例かも知れませんが、競馬騎手は重賞レース直前には完全に缶詰状態にされ、携帯電話を持つ事さえ許されません。ボクシングのセコンドなどは、まさにチーム一体となって相手と戦うのですから、正当な行為として認められますが、チェスの悪習は、どう見ても異常です。チームの人選など、どうでもいい事で、議論の対象外です。
超一流選手でありながら、感情的な問題で、試合前後に握手さえしないでゲームに臨む事態も目にしましたが、こんな時こそ運営組織、管理組織は厳しく咎めるべきと思います。礼に始まり礼に終わるというのは、どんな世界でも共通の最低限のルールでしょう。

率直に申し上げて、前回にも述べましたが、所詮、将棋とチェスは全く異質の別世界であり、理解しあえるものではないと、極めて悲観的になっております。しかし、将棋の第一人者である羽生二冠はチェスにも熱心です。また、カスパロフが将棋を並べている写真を見て微笑ましく思いました。
日本でも世界でも、時代の流れと共に、多くの「運営方法」が改善されていく事を願っております。

keres65

私の投稿に反応していただきありがとうございます。
 私がチェスの世界に入ったとき、ゲーム中自分で棋譜を採る行為を、おかしいと思うよりは、新鮮に感じました。チェスの世界はそうなっているのかという感じ方でした。私は将棋ファンとチェスファンが理解しあえなくても良いと思いますが、お互いのルールや習慣がどうなっているのかという正しい知識は必要だと思います。
 
 採譜をFIDEの「運営方法」と言われましたが、FIDE(世界チェス連盟)以前からチェスプレイヤーは棋譜を自分で採っていました。採譜の意味には単なる記録と言う意味と、ゲーム中に同一局面の3回繰り返し等のドローを証明する証拠としての意味もあります。
 なお、駒の動きを自動記録するボードはプレイヤーの負担を軽減する為に使われると言うよりは、ゲーム進行をリアルタイムでインターネットで発信することに主に使われているようです。マスターたちが戦う主要な大会では、インターネットでほぼリアルタイムで対局を鑑賞できます。これには、センサーボード(自動記録盤)が使われていますが、このとき同時にプレイヤーは自分で棋譜を採っています。
 今後、プレイヤーの意識の変化やもしかしたら将棋の影響などで、(マスターレベルの大会で)チェスプレイヤーが自分で棋譜を採らない時代がくるかもしれませんが。

 「世界選手権が訳の分からぬトーナメント方式になり」・・・確かにこの方式は不評でした。IOCの勧告によって、以前行われていた3年に一度程度のマッチ方式の世界選手権戦をやめて、1年に一度の勝ち抜き戦(短時間の持ち時間&少ないゲーム数)になったわけですが、現在はより権威のある方式に改めています。
 トパロフ、クラムニク、アナンドの三人は新方式で選ばれた世界チャンピオンですが、納得できる結果でしょう。ただし、毎年のように世界選手権の参加選手(複数)を決める大会のレギュレイションが変わっていて、これなどはFIDEが硬直していると言うよりは柔軟すぎる(あるいは節操がない)と言えるかもしれません。

 ・・・と色々書きましたが、チェスと将棋の色々な違いについて、ある方は「おかしいじゃないか」と考えるし、ある方は「面白い」と考えるでしょう。これは、その方の考え方ですので、どうこう言えないと思いますが、それぞれの世界について基本的な知識を持った上で話すべきでしょうね。
 テレビや新聞、あるいはネット上で発信される「チェスと将棋に関係する話」は、多くが将棋関係者のものだと思われますので、たまにはチェス側の人間の意見も聞いてもらいたいと思って投稿しました。もちろん、私の書いていること全てが皆チェスファンの考えていることではないでしょうけど。

この記事へのコメントは終了しました。