「どうぶつしょうぎ」のヒットはオセロゲーム以来ではないか、という意見をネット上で最近読んで、オセロの後もモノポリーのブームがあったので、それはちょっと違うと思っていて、検索で調べてたまたま見つけたモノポリーの歴史が面白かったのでリンクして紹介したい。ところどころ引用する。
モノポリーの歴史
1929年の株式市場の崩壊によりアメリカでは数百万人の失業者が街にあふれた。かつて暖房器具のセールスエンジニアであったダロウにとっても経済的問 題は深刻であり、1930年代の初めは職探しに明け暮れていた。すでに妻のお腹の中には二人目の子供がいたので、電気アイロンの修理や犬の散歩といった仕 事まで臨機応変にこなし妻や子供を養っていた。当然周囲にいる彼の友人たちも皆職にあぶれていたので映画や芝居といった娯楽には縁がなく、夕方や週末にな ると誰かの家にあつまっては会話を楽しんでいた。
上記のような時代にモノポリーの原初的なゲームが創作されたとのことである。たまたまかもしれないが、「どうぶつしょうぎ」ができたのは、リーマンショックが起きた2008年のことである。
しかし残念なことにダロウのゲームはパーカーブラザーズが定義づける「ファミリーゲーム」の体系にあっていないという結論がくだされた。
パーカーブラザーズが定義づける「ファミリーゲーム」の体系とは
(1)一回のゲームが45分前後で終了する
(2)明確な終わりがあるゴールに到達する
というものである。
「どうぶつしょうぎ」は、上記の「ファミリーゲーム」の体系の(2)には合致しているが、(1)の一回のゲームが45分前後は、双方が真剣に考慮時間をとって対局しないとなかなか到達しない時間である。
モノポリーが初めて日本で正式に発売されたのは1960年代の終わり頃であるといわれている。本場アメリカでモノポリーが誕生したのが1935年、約 30年遅れての登場である。それ以前にも輸入版でプレイしていた人々はいたが数は少なかった。当時の日本におけるモノポリーの認知度は極めて低く、最初に 販売を手がけたはなやま玩具は相当苦戦を強いられたようである。
確か、筆者が小学生のとき(1970年代)にクラスの友人の家でモノポリーを一度やったような記憶があるがあいまいである。米国でヒットしたボードゲームが日本へ入ってくるまでに30年かかっているのが印象的。尤も、その間、米国と戦争をして負けて、日本円が米ドルに対して圧倒的に弱かったという事情もあると思うが。
1984年、販売権はツクダオリジナルへ移動。
1986年、コピーライターの糸井重里氏がフジテレビ「笑っていいとも!」に出演し、今夢中になっているゲームとしてモノポリーを紹介。その影響力は予 想をはるかに越え、玩具店には視聴者からの問い合わせが殺到した。この日を境にモノポリーはマスコミに取り上げられる機会が急増する。折しも時はペンショ ンブーム。若者はこぞってグループ旅行の鞄にモノポリーを詰めこんだ。
1988年、販売権はアメリカでの販売元・ケナーパーカー社の子会社、ケナーパーカージャパンに移動した。ケナーパーカージャパンは通常版のほかに新た に「銀座」「赤坂」といった東京の町の名前を用いた「ヤングモノポリー」を発売。日本の地名がボード上に登場した最初のモノポリーである。
そしてこの年、イギリスで開催された第8回世界大会でついに日本人の世界チャンピオンが誕生する。参加国は29ヵ国。予選トーナメントを勝ち上がってき たのはニュージーランド・プエルトリコ・イスラエル・スウェーデンの各代表、そして日本代表百田郁夫氏の5人。1988年10月16日、パークレーン(イ ギリス版モノポリーで「パークプレース」に当たる土地)にて行われた決勝戦で、百田郁夫氏は世界のモノポリープレイヤーの頂点に立ったのである。
1989年、販売権がトミーに移り、それと同時に日本モノポリー協会が設立された。実行委員会は会長選出に際し、満場一致で糸井重里氏を推薦。氏も快くこれを承諾し、日本モノポリー協会は順風満帆のスタートをきった。
このときの糸井氏の影響力は凄かったという記憶である。また、筆者の記憶から飛んでいたが、モノポリーの版権がこんなに頻繁に移動していたのにはややびっくりした。また、モノポリーでは世界大会が開催されている。
1993年、トミーより「モノポリー2」の前作に当たるスーパーファミコンソフト「モノポリー」が発売されたちまち大ヒット。モノポリー人口も一気に増 加する。それまで人数が集まらずにプレイをあきらめていた人々にとって、一人でも気軽にバラエティ豊かなコンピュータープレイヤーと対戦できるこのソフト はまさに救世主だったといえよう。
この辺は、麻雀にも共通するところがあると思う。また、海外では自分の近所に将棋を指す人がいない将棋ファンが多く、ソフトやネットでの対戦環境の整備が彼らにとっての福音となっている。
今後、「どうぶつしょうぎ」が海外に伝播していくにあたって、上にリンクしたモノポリーの歴史は多くの示唆を含んでいるように思われる。
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