Boardgamegeek の Forum(英語)で、面白い記事を読んだ。一部を引用する。
You can play hundreds of games of chess without seeing the kind of brilliant tactics that are there in the problem books. When was the last time you saw a queen sacrifice in a chess game you played? Or a game that ended in a flurry of sacrifices by both players as both players rushed to mate each other before they were mated? But this kind of thing is routine in shogi (with the caveat that there are no queen sacrifices per se because there is no queen; however, major piece sacrifices as part of a mating attack are not at all unusual).(プロブレムの本に出てくるような種類の素晴らしい手筋を見ることなく、何百局のチェスのゲームを対局することができる。自分の指したチェスでクイーンのサクリファイスを見たのはいつのことだったか思い出せるだろうか。また、互いのプレーヤーが終盤激しく一手争いをして、互いにサクリファイスを繰り返して終わったのはいつだっただろうか。しかし、このようなことは、将棋ではよくあることなのである(注意:将棋にはクイーンという駒は無いので、将棋にはクイーンのサクリファイスは無い。だが、詰み筋の一部としての大駒のサクリファイスは非日常的なものでは全くない。)
筆者はチェスをそれほどやっているわけではないので、チェスが上記で言われているようなゲームであるかどうかは判断がつかないが、将棋で大駒を切ったり捨てたりするのが日常茶飯事であるという点には異論がない。手筋を覚えて、自分の対局にそれをうまく応用して使えたときの喜びというのは、体験したものなら誰しも感じたことのあるものだと思う。将棋はチェスよりもそういう喜びを感じられる機会が一局当りにして多いゲームということになるのだろうか。そうだとすれば、それは、海外の人に訴えていくべき将棋の大きな魅力のひとつということになるだろう。
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